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こんにちは。

今日は更新やめておこうかとも思ったんですが、とりあえず1つ挙げておきますね。継続はパワーなりってか。

さて、たかだか400年ほど前の日本の支配者 についての情報さえ不確実なわけで、定説というのは非常に危ういものなんだなぁ、と思うんですが、豊臣秀吉については、実際のところその出自も含めて何一つわかっている事がありません。

一夜城の話にしても、太閤出世話にしても、後世の脚色が強く、わかっていることと言えば、京都の奉行の一人であったこと、中国毛利の窓口であったこと、織田信長が死んであれよあれよという間に天下人になった事くらいです。

実際、彼が信長の草履番であったかどうかなどは、かなり眉唾ぽいですし「猿」「猿」と親しまれていたのかどうか、本当のところ「六つ」じゃなかったかとも思えるのですが、天下を取った事で歴史はぬりかえられてしまいます。

 完訳フロイス日本史〈4〉豊臣秀吉編(1)

「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」

前田利家『国祖遺言』

「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛 生飛弾殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御 咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」

「上様(秀吉)ほどのお人ならば、若いときに6本目の指をお切りなればよかったのに、そうされないので信長公は“六ツめ”と異名されていた。」

確定的な事は言えませんが、まあ、現代ではインターネットの「キャッシュ」 という機能のおかげで、あの有名な「大先生」がつい5年前に何をしていたかなんて、調べようと思えば、誰にだって調べられる時代になりました。

口当たりのいい話だけを読んで信じるのも良いですが、普通は調べますよね。自分のブログで推薦するんなら。



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