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こんにちは。

日本人と言うのは、面白いもので、キリストの生誕をお祝いしてから1週間で、各地の神社に無病息災・家内安全・アメブロアクセスアップをお祈りする人たちです。

調べてみたら、日本でクリスマスがイヴェント化するのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機だったようで、その始まりは信仰や愛というよりは、商売人の知恵と言うものでしょうね。

教皇ベネディクト十六世は、2005年12月11日の「お告げの祈り」のことば(カトリック中央協議会)で「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。」と無粋な事をおっしゃってますが、教会にしても、最も重要な書き入れ時である事は否めません^^

また、正月は、各暦の年初のことで、文化的には旧年が無事に終わった事と新年を祝う行事であると言うことが基本のようです。

かつては夏の盆と対応して、半年ごとに先祖を祀る行事だったものが、仏教の影響が強くなるにつれ、盆は仏教行事の盂蘭盆と習合して先祖供養の行事とし、対する正月は年神を迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」として位置付けられるようになったと言うことです。

ここで、私が思うのは、幾多のパーソナルブランドの先生たちの、発想の貧困です。

寝てもさめても、ブログコンサルタントに難癖をつけるのって、大変です^^

WIKIによれば、

ブランドとは、ある財・サービスを、他の同カテゴリーの財やサービスと区別するためのあらゆる概念。当該財サービスと消費者の接触点で接する当該財サービスのあらゆる角度からの情報と、それらを伝達するメディア特性、消費者の経験、意思思想なども加味され、結果として消費者の中で当該財サービスに対して出来上がるイメージ総体。

ブランドとは「焼印をつけること」を意味する brander というノルウェーの古ノルド語から派生したものであるといわれている。古くから放牧している家畜に自らの所有物であることを示すために自製の焼印を押した。現在でも brand という言葉には、商品や家畜に押す「焼印」という意味がある。これから派生して「識別するためのしるし」という意味を持つようになった。

ということのようですが、転じて昨今ブームのパーソナルブランド に応用されて、新しいキーワード好きの人たちから小銭を巻き上げているコンサルタントの方も多いようです。

私の分類では、ブランディングとは、

財・サービスに対するものと、イベントに対するものに大別されます。

ブランディングとは「差別化」であると言い切る人もいるようですが、前者は、おおよそWIKIの言うように、他者との差別化、ある種の身分・経済的アイコンとしての階層分けの作業です。エルメスしかりBMWしかり。

要するに、「うちのアリサちゃんは、時間切れの5分前にしか客の席には寄りませんが、月収300万円です」みたいな特別な品質です。

しかし、後者は、このクラス意識を取っ払ったブランディングです。億万長者もホームレスもプロダクトランチ業者でさえも、六本木ヒルズ族も戸越銀座族でも、身分・階層を越えて「ええじゃないか」と踊り騒ぐイベントとしてのブランディングです。

バレンタインなどは、明白に広告代理店の戦略の賜物であると思いますが、この正月やクリスマスというイベントとしての「クラスを超えた」ブランディングというのは、個人や商店に応用すれば、ある一定の締め切り期間を定めたセール、講座申し込みにおいては、とても重要な分析対象、ブームの仕掛けだと思われます。

この期間は、従来の品の良いお客様だけでなく、ブログコンサルタントや旅するアフィリエイターに販売しても、メルセデスやフェラーリが、ある特定業界の方々が購入されることによって、品位を落としたような事にはならないわけです。

いや、ブームではなく「行事」と化して初めて大きな商業的成功を生み続けるものなのでしょう。

「売り出し」には何らかの「物語」が必要である。

商品に「物語」 を付加して売る事が重要であると同様に、「物語」そのものが売り物になるという事例です。



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こんにちは。

20万円のセミナーに参加したら「億万長者になる法則」を教えますだとか、30万円のDVD買ってくれたら「月に800万円稼げる方程式」を伝授しますだとか、最近は、がまの油も品不足のようですが、みなさん、お元気ですか?

さて、アメブロのなんちゃってセレブとは品格に背番号18と年俸5億円ほどの差があるセレブリティだけに許される、至高の物語を、ささやかな出費で楽しみましょう。年末ですし^^

大正8年、大倉孫兵衛と和親の親子によって設立された大倉陶園 は、「良きが上のも良きものを」という理念のもとに、美術工芸品のような最高級の洋食器を手がけています。

世界の真のセレブリティに「オークラのホワイト」と賛美される完璧な白磁の美しさを生み出すために、最高級のカオリンを贅沢三昧に使用し、1460度という世界でも類を見ない高温で焼きあげるという信じられない手間をかけています。

また、コバルト絵の具での絵付けや絵師による手書きの絵、エンボス加工など、その技術は、狂気の沙汰に見えます。

皇室、迎賓館、有名レストランなど、国賓・公賓を迎える場に登場してくる日本を代表する洗練というものは、こうした技術の蓄積によって作られるんですね。

でも、技術の前に、物語には「理念」が必要なんです。

大倉孫兵衛遺訓は、エンツォー・フェラーリ、フェリー・ポルシェを髣髴させる「物語」の基点です。

是は利益を期して工場を起す事出來ず。
寧ろ道樂仕事につき一人の獨業として他に迷惑を掛けぬ趣向でなければ思ふ様な道樂は出來ぬ。
依て他に關係なく獨立にて作るを良とするものなり。
全く商賣以外の道樂仕事として、良きが上にも良き物を作りて、英國の骨粉燒、佛國の「セーブル」、伊國の「ジノリー」以上の物を作り出し度し。
利益を思ふてはとても此事は出來ぬ故、全く大倉の道樂として此上なき美術品を作り度し。
既に蒲田に一萬三千坪許りの地を買入れたるにつき、此地に工場と共に別莊の如き見本場を作り、花壇も作り、工場からして美術の工合に作り度き事、此事は萬事和親に任せ、日野氏茲に来つて圖案設計を始める。

大正七年七月十八日 大倉孫兵衛 手記 時年七十六

気概ですね、気概。20万円くれたら1億円になる(かも知れない)ノウハウをあげるなんて商売に、物語はありません。



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こんにちは。

弁護士試験に合格しても、2割は弁護士会に払う金が工面できなくて、弁護士登録しないという時代になってしまいました。

日本最難関の試験にしてからがこれでは、今後、自由貿易協定などが施行されたら、いわゆる「士業」の人たちは、どうやって食べていくのだろうかと思ってしまいますね。

頭の好さ=ブランド、専門知識=ブランドといった時代はとうに終焉し、結局のところ「個の魅力」のみが営業力の実態であるという事を見せつける時代になったようです。

規則、試験、権威による横並びの安心感というのは、一種のドレスコードのようなものであったのです。

コマーシャリズムというのは、いつの時代にも「個」を圧殺するものでした。

流行りに乗り遅れまいとするタイプの人間と、自分に自信のない人間に「とりあえず、これをやっていれば安心だ」という法則を売り込みむ。

そう。この2種類の人間によって流行は起きます。

そして、結局みんな似てしまうわけです。

ドレスコードというのは、「そうでならなければいけない」というルールでありユニフォーム化です。枠組みからはみ出ると規定に反するために、無個性になりがちです。

自分の服装が間違っていなければいいという消極的な考えは、お洒落のためのドレスコードをユニフォームに堕落させる危険性を常に持っています。

気が緩めば、マンネリに至り、期待していた効果を得れなくても、横並びの憐憫の意識がそれを癒してしまいます。

現代の男もののスーツは、色彩が抑制されているので、素材とフォームによってしか他人との違いを浮き立たせる事は難かしいのですが、

エレガンスとは、「ねばならない」をどこまではみ出す事が出来うるか、にかかっていると思います。生き方に「方程式」などあろうはずもありません。

ただし、エレガンスは、正しい知識と自分自身を良く知ることからでしか表現できません。

自分の体型を無視した「法則」ではユニフォームの域を脱しえませんし、素材、色、柄、コーディネイト、スタイルに関する全般的な知識無くしては、単なる「珍奇」に陥ってしまうでしょう。

認められる際立った個性とは、常に「客観」から生まれます。

「私はこのDVDセミナーにかけています。ぜひ皆さんにもこれを活用して、私のように無一文から真のリッチマンになってください。幸せになりましょう!」という情報商材が、198,000というのは、客観的に見て、どうなのよ? と思える次第でございます。



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こんにちは。

「人と違うことを学びたい。そんなアナタのための珍講座」という特集をyahooのトップでやっていたので、思わず見てしまいました。まあ、いろんな事を考える人はいるもんですね。大体、考え付くことはほとんど存在してるような気がします。

個人的に面白いな、と思ったのはこれで、

10万回再生された配色講座

「センスの無い人向けの配色講座」というコンセプトが受けた原因かもしれませんが、日本人の10人に一人がブログやってるような現状ですから、殆どの人が、プチ・デザイナーであり、プチ・カラーコーディネーターという世の中になっているとも言えますね。

色に関する需要は潜在的にかなり多いのではないでしょうか。

もう、義務教育の「美術」の時間には、配色や色彩心理の基礎みたいな事を教えた方が子供のためというような時代になってきていると思いますね。

黒い紙の上に黄色青の色紙を置くと、黄色は手前に飛び出してくるように見えますが、これは「進出色」と言います。

また青は奥へ退いていくように見えますが、これを「後退色」と呼びます。

不思議なもので、黄色と青の色紙を丸く切ってしばらく眺めていると、黄色は外側にむかって広がっていくように見え(膨張色)、青は円周から中にむかってちじんで行くように見えます(収縮色)

暖色系の色は寒色系の色より「進出」し、
あかるい色は暗い色より「進出」し、
背景とその明度差が大きいもの程「進出」して見える。


スーパーマーケットの棚にならぶ箱に、赤や黄色が多いのは、こうした色彩心理を応用しているのです。

通路を往来する客は、並んでいる商品をほんの一瞬しか見ません。

商品は、その一瞬に自分の全存在をかけてアピールしているわけです。

色彩心理には、まだまだ面白いのが有りますが、わけのわからないブランディング法 を学ぶより、はるかに実践的で「知っている人と知らない人」のビジネスに影響を及ぼす知識だとは思いませんか?^^



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こんにちは。

関係性について藤村先生が語り始めていますので、実は「銭」「関係性」を断ちきる手段として成立したという事項を頭に入れておく必要があるという問題提起をしたいと思います。

はは。こんな事を言うのは私くらいです。

単純に苔の生えたノウハウや偶然の事例を列挙する事でコンサルタントを名乗る人物が多い中で、「物を売るな体験を売れ」と自分自身の哲学を販売している氏を尊敬申し上げておりますが、どうも良く考えもせず、これを受け売っているお弟子さんが多いように思えます。

皆さん、無批判無思考は、バカへの一里塚です。自分なりに良く咀嚼して、受け売れるなら受け入れる、再考するなら再考する。

この立場は、誰に対しても同じです。

網野善彦 氏によれば、日本の社会に金属貨幣が本格的に流通を始めたのは13世紀のことだと言います。

それまでの交換手段であった米や絹と違い使用価値の無かった銭ー金属貨幣が富の象徴になってくると、富のイメージを大きく変えたと言われています。

物が商品になるということは、通常ではありえない出来事だったのです。

物と物とを商品として交換するというのは、ある時期までの社会では普通の状態では実現できないことでした。

人と人の間で物が交換されるというのは、いわゆる「贈与互酬」の関係になります。

贈り物をし、相手からお返しをもらうという行為が行われれば、人と人の関係はより緊密に結びついていかざるを得ません。これでは商品の交換にはなりえないというのです。

常に味噌1升と油1升が等価交換出来る訳ではないのです。

物が物として相互に交換されるには、特定の条件を備えた「場」が必要で、その場が市場である。市場においてはじめて、物と物は贈与互酬の関係から切り離されて交易される。市場とは、日常の世界とは縁の切れた「無縁」の場であるというものです。

平安時代から、「虹の立つところに市を立てなければいけない」という決まりがあったのも、虹があの世とこの世、神の世界と人間の世界、聖と俗の境であるからであるというのです。

「無縁」という市の場では、物にせよ人にせよ、いったん神のものにしてしまう。あるいは誰のものでも無いものにしてしまう。その上で物と物の交換が行われるというものです。

すなわち、妻も夫も俗界の「縁」が切れるので一人の女、一人の男として自由に交換が出来る場所として、神の祭りの場・カーニバルがあった事は良く知られていますが、市場とは日常の世界、俗界から物も人も縁が切れるという状態が出来て、初めて商品の交換が可能になったという説です。

貨幣がこの交換の手段として、日常を「無縁」に変えるものになった時代、銭が富の象徴になった時代、「徒然草」には、大福長者 という金持が、

銭は、君のごとく神のごとく、恐れ尊びて使かえ

と言っております。

色々な欲望を抑え、ひたむきに銭を備蓄することに「徳」があると。このころの裕福な人を「有徳人」と言うようになったのです。バリやヒルズにいるのかどうか知りませんか^^

銭は、神聖な神の代用品であり、いったん銭となった価値は、すなわち誰のものでもない「無縁」の価値であり、それ自体が市場であると。

「価値」は交換によって生まれるが、「貨幣」は関係性を断ちきる物として成立した。

真に、考える事の多い問題です。そんなに単純に受け入れられる知性が多いとは思えないわけです。



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