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こんにちは。

テスターに沢山の反響、ありがとうございます。いろいろやってみたいこともあるのですが、月曜日の段階では、カンパ金の確認出来たものは1万1千円でして、ペたツール2月分を2人がテストすると1万2千円ほどかかりますので、現在マイナス1000円というところです^^

まあ、テスター記事 とともに定期的にご報告はしていきますが、一度にはいろんなことは始められません。ぼちぼちやっていきますね。

ここのところ、私的な旅行にも出てないので、ゆっくり旅に出てみたいですね。

こんなとこ。

伝説によれば、天童法師は、天武天皇白鳳二年(673年)対馬豆酸郡内院村に生まれた超能力者である。

彼の母親は朝日に向かって小用を足していたとき、日光に感精して彼を妊娠した。ゆえに、彼は太陽神、日の神の子供、<天童>なのである。日輪の精として天童と名付けられた彼は、知恵抜群で十一面観音の化身といわれ、9歳で上京し、仏道に入って修行をし、やがて対馬に帰島してきた。

 大宝三年(703年)、ときの天皇、文武天皇がご病気になられた。都の神官が亀卜を行い、対馬にいる天童法師に祈祷をさせれば治るという結果が出たため、急遽対馬に使者が発せられた。

 法師は修行によって空中飛行の法力を修得しており、内院浦の山上から飛んで壱岐の小城山に至り、そこからさらに太宰府豊満岳を経由して、朝廷の御所の門前に降り立った。このとき、雨風を伴いながら降り立ったので、都人たちは大いに驚いた。

 法師は直ちに祭壇を築き秘法を修し、十七日間の祈祷の末、見事天皇の病を癒すことに成功した。



対馬・浅藻の八丁角にある天童法師祭祀場。鳥居の奥の小道を進むと卒土(そと)と呼ばれる石積みの塔がある。

土地の年配の人は、ここを<おとろし所>と呼んで、祟りを恐れ近寄ろうとはしない。もし近づいたとしても、決して背中を見せず、後ずさりしてこの場を立ち去るようにするのだそうである。

かつては、ここに罪人が逃げ込んだ場合、それを追捕せずに見逃した。聖地にはタブーが付き物である。

熊野・串本町潮岬に高塚の森 と呼ばれる古代の祭祀遺跡がある。

高塚の太陽祭祀遺跡は、おそらく三世紀から四世紀頃、伽耶・新羅系の渡来人による築造であり、太陽祭祀は「蘇塗」信仰に基づくものである。

高塚が禁足地であり、祭司王は天童法師であり、太陽が天君と考えると符号することが多い。

このように、高塚はヤマト建国宣言にかかわる遺跡であり、同時に伽耶・新羅系の渡来人による「蘇塗」信仰遺跡である。

魏志東夷伝・馬韓伝

鬼神を信じ、国邑各一人を立て天神を主祭す、この名を天君という。また諸国各別邑あり、この名を蘇塗となす。大木を立てて鈴・鼓を懸け、鬼神に事(つか)える。諸亡逃げてその中に至れば、皆これを還らず、好んで賊と作(な)る。その蘇塗の義を立てるは浮屠(仏塔)に似るあり、しかして善悪を行なうところ異あり。

■外道とお天道さまにまつわるお話^^

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