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こんにちは。

情報というのは、それを利用する人物の都合のよいように報道する事が出来るもので、それ自体は鉄人28号のように、別に正義の味方でも、悪魔の手先でもないわけです。

たとえば、年末年始を温かく過ごす道具として人気絶頂のフェイスブックは、同じ月にこのような情報が交錯します。

日本のFacebookのパソコンからの利用者が2011年8月現在で1000万人超えた。

Facebook、日本の月間アクティブユーザーは500万人に。

上記はニールセン系の業者による情報、下記は公式プレスリリースですが、ぱっと見、「1000万人か、凄いなぁ」と思うのは、何らかの意味でフェイスブックを「商売」にしている人です。

下記は、実際にアカウントを有し、アクティブに動いている人の統計で、上記は一度でもアクセスした人の統計です。

同じ情報でも、立場によってその解釈に色が付きます。

そして、将来はそのどちらかが消え去ってしまうわけです。たとえ「公式」「事実」の方でもね。

日本の共和制というか、自由都市としては、現在選挙で話題の堺市位しか有名ではありませんし、元来「一揆」というと、百姓のデモ行為位にしか意味が取れなくなっていますが、もともと「一揆」とは、民主共和制の意味で使用されていたものです。

戦国期の伊賀では、北東部東湯舟郷に藤林長門守率いる藤林氏が、南部大和との国境城山と東部友生村喰代郷に百地丹波守率いる百地氏が、そして中央部予野に千賀地服部宗家がそれぞれ城塞や砦を構えていました。

 伊賀は鎌倉末期まで、その国土の九割近くを荘園として管理していた大和東大寺の支配下にあり、東大寺の勢力衰退に乗じて各地侍はその荘園を思い思いに侵略、そのために数十もの独立勢力として割拠するという異常事態になります。

 結局、国主は持たずに一族で一党を形成すること、掟を定めた上で重要事案については党同士が回文を回し、必要に応じて連判状や起請文を認めることなどを決め、これを伊賀地侍の中から選出した12人の代表によって運営します。これが伊賀惣国一揆です。

伊賀は伊賀惣国一揆と呼ばれる合議制の強い自治共同体が形成されていたのでした。

まあ日本に立憲君主国を作ろうとした政府にとっては、共和国の歴史なんて百害あって一理無しなわけです^^

情報は、誰が何のために流しているのか。

かつてその人物は何をなした人物であったのか。インターネットにはキャッシュという便利な機能もあることですし、複数の情報を比較して、判断する事は重要な事であるでしょうね。



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