2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
こんにちは。

古事記や日本書紀 の作者たちは、邪馬台国の女王卑弥呼について、知っていたと思うんですが、なぜ、ほとんど触れないのでしょうか。

ひょっとして、邪馬台国と敵対していた狗奴国が東征して倭国の本体になったのなら、あえて書かないということもありえるかもしれませんが、最近ではどんどん発掘される巻向遺跡がプレ邪馬台国であったとすれば、尾張地方が狗奴国ではないかという説も力を得ているようで、なかなか難しいところです。

ところで、魏志倭人伝にある倭人とは、

「皆面黥面文身」というように男子はみな顔や体に入れ墨し、墨や朱や丹を塗っている。男性がおしゃれな国だったんですね^^

男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。ポニーテールにもしていなかったようです^^

人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。ということは通常は肉食の習慣もあった?

特別なことをするときは骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う。亀甲ですが、「占い」は古い商売ですね^^

女は慎み深く嫉妬しない。ホントでしょうか?^^

盗みはなく、訴訟も少ない。島国だから、逃げ場が無いというのが日本の美風のひとつですかね。

法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。家族は宝だったということですね。

宗族には尊卑の序列があり、上のもののいいつけはよく守られる。まあ、日本人の権威に対する感情は今も変わらないかも^^

ということですが、神武東征の実質の軍事司令官・久米氏などは、その時代でも目の周りに大きく刺青していたようで、神武の妻になるタタラ姫をびっくりさせています。なんかポリネシア系の香りもしますね^^



1.帯方郡から倭国に至るには水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で倭国の北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する。

2.始めて海を1000余里渡ると対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。



私は任那日本府の存在を疑うものですが、もともと半島南岸に狗邪韓国 という倭人の国があり、これが後の伽耶 になるもの。

あるいは弁韓 に相当するものであると考えると、古事記や日本書紀が伝えない、広開土王碑文に該当する高句麗との戦闘や積極的な半島政策に対する理由、あるいは半島の四県割譲により失脚した継体・欽明期の最大権力者・大伴金村と台頭してきた蘇我稲目の件も、これを事実と考えれば、なんとなく読み取れるような感じです。

日本史の鍵は、継体天皇を作り出す必要があったその息子、欽明天皇 =天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(しきしまのすめらみこと)期にあるんじゃないか。が、日本書紀を読んでいて今のところ思うポイントです。



日々の発想のヒント!先生業のネタ本。



↑もうすぐです!

日本書紀も読んでね!と思う人は、


無料メルマガ「プアーブロガー養成講座■ブログの真相」

今のうちに登録しておきましょう^^


友愛ジャコバン党 の方は、本当に押してますか~。

よろしく^^

にほんブログ村 本ブログ 電子書籍へ
にほんブログ村

ウェブログ ブログランキングへ

関連記事
テーマ:日記
ジャンル:アダルト
コメント:
この記事へのコメント:
コメント:を投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック:
この記事のトラックバック URL
この記事へのトラックバック:
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...