2011-11-13 (日)
NHKのテレビドラマでは、登場人物が行う日常行為に伴う「音」、たとえば茶碗を机に置く音や、お茶を飲む音を再生するのに、音響スタジオの中に茶碗やお茶を持ち込み、VTRのモニターを見ながら登場人物のする行為をなぞって効果音を作っていくといいます。
最近、何だか格調高い文章ですね。はは。
ようするに「行為の生の音」を録音してしまうと、異様に生生しかったり、肝心の音がよく聞こえなかったりしてドラマにならない。
それで登場人物の行為を真似しながら効果的に音入れする音響効果マンが必要になってくると言います。
さらに、お茶を注ぐシーンがあるとすると、この効果音を作るのに、お湯でやるのと水でやるのでは、あきらかに違いが出てしまって、お茶を水で代用することはできない訳です。
お茶の方が音にまろみがあり、水になると音が硬くなるらしいです。
勿論、機械録音では、耳で聞くよりもはるかに、音そのもののディティルを録音してしまう事も多いと言います。
この話は、私たちがいかに日常の音をきいていないかという事を考えさせてくれます。
視覚のフィルターよりも、はるかに聴覚のフィルターの方が強力で、まあ、その場にある「音」をすべて拾ってしまうと、人間は精神に異常をきたすのであろうと思いますが、
私たちは、「見えるように」世界を見ているのでは無く、「見たいように」世界を見ているのであり、「聞こえるように」世界を聞いているのではなく、「聞きたいように」世界を聞いているという脳と感覚器の働きに思いを馳せる時、認識の中にすでに存在する「思い込み」こそが世界を作っているという事の証明の一つになるものだと思います。
すなわち「思い込み」こそが世界の実態であるとすれば、これをかたち作り、刷り込みをしているものこそが「物語」なわけで、「商品」とは、いくら客観的なデータを羅列したところで、そのスペックは無意味に過ぎず、販売において人々の情動を揺さぶるものは、「物語」でしか無いという事ではないかと思います。
これはおそらく商品が高価なればなるほど、そのスペックと人間の情動をつきうごかす「価値」の間には大きな隔離が発生するもので、「物語」の共有を欲するために対価を支払う顧客は、本田総一郎の夢とアイルトン・セナの物語。
エンツォの意思とシューマッハによる復活の物語に対して、自らを歴史の一部にするために、あるいは、自らの生が何らかの意味を持つものと満足するために、お金を支払うものなのだと思うのです。
なぜ、そのお店でその商品を購入しなければならないのか。
パワーブログや特権的なセレブ組合の力の源泉は、その宣伝力、より多くの人に情報をリーチさせうる力であると思いますが、もはや商品スペックを大げさに伝えたところで、実益に繋がるという状況では無いでしょう。
理由が問われる時代になったのです。
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すなわち「思い込み」こそが世界の実態であるとすれば、これをかたち作り、刷り込みをしているものこそが「物語」なわけで、「商品」とは、いくら客観的なデータを羅列したところで、そのスペックは無意味に過ぎず、販売において人々の情動を揺さぶるものは、「物語」でしか無いという事ではないかと思います。
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