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こんにちは。

とりあえずは習作で一通り書き下してみます。完成した後、手を加えてまとめようと思います。

【秘境列島16(習作)・第二章沖津宮】

ヒント別冊【秘境列島17(習作)・第二章沖津宮】

の続きです^^



「佐藤さん」思索に入っている佐藤に向かって警部補が呼びかけた。

「亀」ですね。佐藤は言った。「亀甲紋は出雲大社の神紋ですね」

「それとこれは何か繋がるとでも言うのかね」

この質問をされるたびに、どう答えたものかといつも迷う。象徴が意味するものを人に教えるのは、匂いを言葉で表現して伝えることに似ている。歴史とは流れていくものでは無く、降り積もり積み重なるものだ。縦横の知識が無いものにイメージの意味を伝えることは難解な作業である。

「宗像大社に伝わる宗像大菩薩御縁起には、神功皇后の三韓出征の時、亀に乗った安曇磯良が現われて加勢したとあります」

高田がうなずいた。「亀は安曇のシンボルの一つです」

「それだけではありません」佐藤はそう答えてすぐ、話すべきかどうか少し迷った。彼は、記紀の語る応神以前の神話は、大和朝廷以前の旧勢力が既に持っていた神話なのではないかと思っている。

亀旨峰(クジボン)という山に6個の卵が降りてきて、卵から生まれた王たちは、それぞれ6伽耶の王になり、その最初が金官伽耶の始祖・「首露王」。亀旨峰という名前も、古事記にいう天孫降臨の「久士布流岳」(くじふるだけ)と同じ構造をもつ神話だった。

亀は伽耶のシンボルでもあった。

安曇磯良のは母は海神・トヨタマヒメであり、これは彦渚武ウガヤフキアエズと同一である。磯と渚は同一の名だ。そう。初代天皇である神武の父。

安曇磯良は別名磯武良。いそたけら。五十猛はスサノオの息子で韓国のソシモリから出雲に降り立った神である。出雲大社のシンボルが亀であることは偶然では無かった。

武蔵は元々胸刺(むさし)と書き、胸(むな)は空(むな)でカラ(韓)の意味、刺(さし)は城(さし)で非農民の集まる所を云う。鍛工、石工、木工、織工等を業とした韓人の渡来地を胸刺と称した。

宗像氏自体、三井寺の本質が新羅神社であるように、本貫の地を指していた。それは後の三国時代の新羅などの三韓というよりは、まだ未分化の小国が割拠する任那・伽耶の小国といったほうが正しいかもしれなかったが。

「宗像隆茂氏は・・・」佐藤は説明を始めた。



PS:

日刊ヒントの金曜日の差し替えの件ですが、【発達心理学】プリンセス症候群との闘いにしました^^

現在の消費社会およびメディアのコマーシャリズムによって作り出されるプリンセス症候群。この弊害とそれを乗り越える方法について。



日々の発想のヒント!先生業のネタ本。



↑4月4日(水)【創作】秘境列島17、発信終了。

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2013/01/31(Thu) 00:24 |  |  | [編集]
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