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こんにちは。

パナソニックが7721億円の最終赤字らしいですね。単一企業が1年で1兆円近い赤字を出すなどということがありえるのでしょうか。

それでも会社が継続するということの方が、もっと不思議ではありますが^^

さて、

皇位についていた方が亡くなると、昭和天皇とか明治天皇とか諡号・天皇号が贈られますが、この「○○天皇」と贈られたのは、

神武天皇から62代の村上天皇(969)までで、63代から119代の後桃園天皇までは、「○○院」という称号に変わっていたんですね。

実際のところ、天皇に漢風諡号がつけられたのは

764年に神武天皇から持統天皇、元明・元正天皇の諡号が一括して淡海三船という人によって選ばれたものですから、

かれこれ300年程度の使用にすぎないということになります。

当時まで、神武天皇などだれも知らず、この人は、神日本磐余彦尊と呼ばれていたわけです。

生きているころは、もっと違う名前、サノとか呼ばれていたのでしょう。

1840年に光格天皇が天皇号を再興した時は、江戸でも京都でもびっくりしたようです。

天皇は通常「主上」「禁裏」と呼ばれていて、

たとえば後桃園院が後桃園天皇になったのは、大正14年に政府が皇位についた人を「○○天皇」と呼ぶと決めたからです。

時はフェートン号事件や、異国船打ち払い令が出たりして、そろそろ「世界」に目を向ける時代に差し掛かってきていたのですね。

黒船来航は1853年ですから。

しかし、淡海三船という人はどんなことを知っていて、
「神」が付く天皇
「天」がつく天皇
「継体持統」を使い分けたのでしょうか。
とても興味がありますね^^

当時の世界大戦ともいえる唐・新羅連合軍との戦いに負けて、急いで国家形成・整備をする中で「天皇号」は誕生し、
封建国家から中央集権による近代国家を急いで作り上げ、列強に対抗しようとする中で「天皇号」は復活するわけです。

外圧によって、日本国の運命が心もたなくなると発動する装置のようなもの、でしょうか。




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写真は白村江大戦の総司令官・安曇比羅夫です、と思う人は、


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