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こんにちは。

K-1は倒産してしまいましたが、同じように胡散臭い大相撲は生き残ります。

ブームの中でイベントのアイディアのみを考え、仕掛けに重点を置いてスター制におんぶするという仕事は、結局のところ、消滅し、

東西別団体であったものが個の利益を我慢して、統一のコミッショナーを作ることによって独占事業になり、部屋制度をはじめとする仕組み作りを優先させれば、その組織は伝統となり、生き残る。

億万長者を輩出するだけが「成功」とはいえないもののようでございます^^

いろいろな考えがあると思うのですが、私だと古代における日本国の物語の創設と律令制の藤原不比等、中世における国の形と封建制の源頼朝、 近代における中央集権と殖産興業の大久保利通

この三人が特に日本を作った三悪人であると思います。

特に藤原不比等については、今ある日本の物語は彼の思想の上に構築され、それまであった豪族、大伴氏とか葛城氏とか物部氏とか蘇我氏とか、 ほとんど天皇にとっては、近代の島津や毛利や徳川に匹敵するような勢力をことごとく消滅させ、

貴族といえば、宮廷で政治をつかさどる官僚・役人、いや、ほぼ藤原氏の分家だけに限定してしまうという路線を引いたものであり、 以来、第二次世界大戦終了まで、日本のナンバーワン・セレブの家系に君臨します。

個人的なイメージでは大久保利通とかなりダブるのですが、

実のところ、古代天皇と格式上は同等であるところの豪族以外に、官僚として入り込み、殖産興業に従事した実際のナンバーワンは、その分布から 見ても「秦氏」ではないかと思えるのですが、この家系は、不思議なことにとくに大きな事件もないのに、ぷっつりと消えてしまいます。

溶け込んだといった方がいいのかもしれませんが、

平安京などは、彼の支配地に彼の財力によって建てられたものであると思うのですが、

実に不思議な気がします。

藤原鎌足という人物の出自が神奴・中臣氏と関係があるようには見えにくく、
神職であるにもかかわらず、その長男を仏僧にすべく唐に派遣するという行為は怪しく、
彼と帰化人。田辺史氏に育てられた藤原不比等の間に血縁関係があったのかどうかも疑わしく、


大化の改新自体が、比曇の乱の引用じゃないかとも思えるわけで、実際、壬申の乱という「倭国大乱」によって天武・持統が政権を掌握し、

倭国から日本国へ、大王から天皇へ、日本書紀の編纂へ、といった、

白村江の敗戦以降の激変の混乱以前の日本の歴史というのは、全く、不比等の頭の中にだけ存在した物語ではないか?

そんな気さえするのでした。


天孫降臨の夢―藤原不比等のプロジェクト (NHKブックス)



藤原不比等 (朝日選書)



藤原不比等



検索機に出てこない情報を。



↑5月17日(木)【性格のパラドックス】脳科学は、セックスについてどう説明するか。発信終了。

なぜ天智の功臣の息子が天武のブレーンになりえたのだろうか、と思う人は、


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