2012-05-24 (木)
こんにちは。
九頭竜湖の湖岸で冷凍庫に入れられた27歳の女性の死体。いったいどれくらいの行方不明者がこのようなことになっているのでしょうかね。
日本の行方不明者は、毎年10万人もあるといわれています。
さてと、
プラセボと呼ばれる現象があることは証明されています。
「思い込み」「信じる力」が物質的に作用する、というもののように見えます。
存在としてのプラセボ効果は<「あり」ますが、そのメカニズムは実はまだよく分かっていません。
これは、プラセボに対する反応に個人差がありすぎるためで、これをどうとらえるかが難しいということですね。
プラセボによる効果のもっとも顕著なものは、鎮痛効果で、現代では、脳画像研究によって、脳内のエンドルフィン経路の活発化は既に確認できています。
そもそも「痛み」は、疼痛伝達物質(サブスタンスPなど)によって知覚されるのですが、プラセボ効果は、これらの痛み伝達物質の放出を抑制することで鎮痛効果を示すというところまではわかっているようです。
この抑制するものは、オピオイド受容体というもので、おそらくは、一時的に人間の免疫機能をコントロールすることで機能している可能性があるようです。
ただ昨今の遺伝子研究に比べれば、この分野は著しく立ち遅れていて、
その原因は、
「痛みとは何か?」という哲学的な問題に起因しているのではないか、と思います。
通常は、痛みとは、虫歯のような組織損傷を知らせる信号として、体の異常を教えるものであるという認識でしょう。
科学者から見れば、「痛み」は定量化が困難な現象です。
東洋思想の多くは、たとえば仏教哲学では、身体と精神の二元論を否定していますが、西洋科学の根底には、デカルトの心身二元論やその改訂版であるモーリス・メルロ=ポンティのような二元論がまだ、あるようです。
他人の痛みを数値化することはできないのです。
痛みとは、結局のところ、心理的な知覚の一種です。そうだとすれば、知覚そのものが脳の記憶による現実の抽象化であるわけですから、純生理的なものでは無いということでしょう。
心理と生理の二元論からは、痛みのメカニズムは解けないと思いますし、プラセボ効果とは何か、を解明することもできず、ひいては<「信じる力」は図れません。
アリストテレスは、痛みを『霊魂論』にあげた視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの感覚よりもむしろ、生理的な反応によってひきおこされる不快や苦しみの情緒である。
と定義付けました。
ヴィトゲンシュタインは、極論ですが、「子供が怪我をして、泣き喚く。すると、大人たちがその子に話しかけ、叫ぶことを教え、さらに後に、文を教える。彼らは子供に、痛いときの新しい振る舞い方を教えるのである」
すなわち、言葉を覚える前の子どもは、自分では痛みの存在を理解できないといいます。
痛みは言語という六つ目の機能に属しています。
検索機に出てこない情報を。
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日本の行方不明者は、毎年10万人もあるといわれています。
さてと、
プラセボと呼ばれる現象があることは証明されています。
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存在としてのプラセボ効果は<「あり」ますが、そのメカニズムは実はまだよく分かっていません。
これは、プラセボに対する反応に個人差がありすぎるためで、これをどうとらえるかが難しいということですね。
プラセボによる効果のもっとも顕著なものは、鎮痛効果で、現代では、脳画像研究によって、脳内のエンドルフィン経路の活発化は既に確認できています。
そもそも「痛み」は、疼痛伝達物質(サブスタンスPなど)によって知覚されるのですが、プラセボ効果は、これらの痛み伝達物質の放出を抑制することで鎮痛効果を示すというところまではわかっているようです。
この抑制するものは、オピオイド受容体というもので、おそらくは、一時的に人間の免疫機能をコントロールすることで機能している可能性があるようです。
ただ昨今の遺伝子研究に比べれば、この分野は著しく立ち遅れていて、
その原因は、
「痛みとは何か?」という哲学的な問題に起因しているのではないか、と思います。
通常は、痛みとは、虫歯のような組織損傷を知らせる信号として、体の異常を教えるものであるという認識でしょう。
科学者から見れば、「痛み」は定量化が困難な現象です。
東洋思想の多くは、たとえば仏教哲学では、身体と精神の二元論を否定していますが、西洋科学の根底には、デカルトの心身二元論やその改訂版であるモーリス・メルロ=ポンティのような二元論がまだ、あるようです。
他人の痛みを数値化することはできないのです。
痛みとは、結局のところ、心理的な知覚の一種です。そうだとすれば、知覚そのものが脳の記憶による現実の抽象化であるわけですから、純生理的なものでは無いということでしょう。
心理と生理の二元論からは、痛みのメカニズムは解けないと思いますし、プラセボ効果とは何か、を解明することもできず、ひいては<「信じる力」は図れません。
アリストテレスは、痛みを『霊魂論』にあげた視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの感覚よりもむしろ、生理的な反応によってひきおこされる不快や苦しみの情緒である。
と定義付けました。
ヴィトゲンシュタインは、極論ですが、「子供が怪我をして、泣き喚く。すると、大人たちがその子に話しかけ、叫ぶことを教え、さらに後に、文を教える。彼らは子供に、痛いときの新しい振る舞い方を教えるのである」
すなわち、言葉を覚える前の子どもは、自分では痛みの存在を理解できないといいます。
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