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こんにちは。

はるか昔、色々な伝承をまとめた書物が、一方では「正史」となり、一方は「偽史」となる。この仕組みは悩ましいものです。どちらも史実かと言えば、100%そうではなく、さらに昔の出来事の何らかの投影でしかないものです。

「書かれたもの」ではなく、「書き残した意味」が重要。とは、どこかのメルマガ の文句のようですが、これが読み手の楽しみになるというのですから、ひねくれた楽しみです^^

現在皇室の祖とされる神武の物語 では、彼は九州南部から関西入りにさいし、苦闘の連続で、関西の支配者である長髄彦にいいところなくやられています。神武は兄たちもこの戦いの中で無くしています。長髄彦は言います。

「すでにこの地には天神のクシタマニギハヤヒノミコト(櫛玉饒速日命)が降りてこられ、
わが妹のミカシギヤヒメ(三炊屋媛)を娶り、
ウマシマジノミコト(宇摩志麻治命=可美真手命)をお生みになり、
この地をヤマトと名付けられた。
そこで私はニギハヤヒを主君として仕えている。
天神が二人いると言うのか。
お前は天神の名を騙り、この地を乗っ取ろうとしているのではないか」。


神武が答えて、

「天神の子はたくさんいる。お前が主君と仰ぐニギハヤヒが天神の子であるというなら、必ずその証拠の品があるはず。それを示せ」。

長髄彦は天羽羽矢(あまのははや)と歩靫(かちゆき)を差し出し、神武は納得します。しかし長髄彦の方はではこの国をどうぞ、というわけはありません。主君ニギハヤヒは事態がねじれていくのをおそれ、長髄彦を殺してしまいます。

神武はニギハヤヒのこの処置を見て、和睦し、ニギハヤヒは物部氏の祖となります。神武は、初代天皇ハツクニシラススメラミコトとして即位します。ここにどのような「取引」があったのでしょう。・・・日本書紀



和銅3年(710)の平城京遷都で、石上(物部)朝臣麻呂が藤原京の留守役になったという記載の後、物部一族は日本の表舞台からすっかり消しますが、この政治的フィクサーは藤原不比等。以来1300年にわたり日本の上層部を独占した家系の祖です。

実は、神武一族の関西定住の前に、ニニギの正統性と互角の二ギハヤヒというもう一つの天孫降臨伝説があり、前者のアマテラスに対応する大物主=大神(オオミワ)一族がプレ・ヤマトに先行していたのですから、物部氏とは、もう一つの天皇家と言える存在だったようです。

先代旧事本紀 という平安期の延喜年間に書かれた「偽書」があります。ウマシマジは神武がヤマトに入ったのちに、天物部(あまのもののべ)を率いて各地を平定したことになっています。まさにヤマト・タケルの物語です。

内容の一つ一つのエピソードではなく、書き残さずにはいられなかった勢力の思いは1000年たっても、伝わってきます。

先代旧事本紀・訓註



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