2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
随分、最近のことなんじゃないですかね。江戸時代とか。

こんにちは。

考えてみれば、ひどい人間のような気がしますね。平和に暮らしていた熊襲の娘を「色仕掛け」で落として、親を殺させる手引きをした天皇と、

ホモだけど勇者の酋長を女に化けて酔わせて、寝たところを刺す日本武尊。

でもまあ、この時代では、これは知性を賞賛されることであって、恥ずべきことでは無いという倫理観わけで、こういうのは時の流行によって変わってしまうものなんでしょうね。

景行天皇・熊襲討伐

「熊襲梟帥(クマソタケル)の娘に市乾鹿文(イチフカヤ)、市鹿文(イチカヤ)という容姿端麗で気性も激しい姉妹がいます。沢山の贈り物をして手なづけ、敵の様子をうかがわせ、不意を突けば兵に頼らず破ることもできるでしょう」と言います。

天皇はこれを良しとして贈り物で姉妹を騙して味方につけました。天皇は市乾鹿文と肉体関係 になり、偽りの寵愛をしました。可愛そうな市乾鹿文は、

「私に良い考えがあります。一人二人の兵を貸してください」とつげました。そして家に帰り、父に強い酒を飲ませて酔わせ、そして密かに父の弓の弦を切っておきました。そこに兵士が侵入し、熊襲梟帥を殺しました。

その後の姉の消息は不明。妹の市鹿文は地元の火国造(ひのくにのみやつこ)に賜りました。

日本武尊・熊襲討伐

十二月。熊襲国に着き、人の暮らしや地形を調べます。熊襲の魁帥(たける)、名を取石鹿文(トロシカヤ)、または、川上梟帥(カハカミノタケル)という族長が親族を集めて新築祝いをしようとしていると聞いた日本武尊は、髪を解いて童女の姿に女装し、こっそりと宴会が始まるのを待ちます。

そして剣を衣服に隠すと、川上梟帥の宴会の屋敷に入り、女たちに混じりました。川上梟帥はその童女の容姿を気に入り、手を握って同席させ、酒を飲ませたり、セクハラで身体をもてあそんだりしました・・・夜もふけて人も少なくなり、川上梟帥にも酔いが回ったころを見計らって日本武尊は衣服から剣を取り出すと、川上梟帥の胸を刺しました。

川上梟帥は死ぬ直前に、

「ま、待ってくれ。お前はいったい誰なんだ」と聞きました。日本武尊は剣を止めて、

「景行天皇の子。名は日本童男(ヤマトヲグナ)」と答えると川上梟帥は、

「私は国一番の力持ちで、その威力におそれて私に従わない者はいない。多くの武人にあったが、皇子のような人はいなかった。タケルという尊号は皇子にふさわしい。」と言いました。

「許す」と答えた日本武尊は、言葉が終わると尊は胸を指して殺しました。このため、今に至るまで日本武尊と称えられているのです。



日々の発想のヒント!先生業のネタ本。



↑毎週土曜日配信です。

道徳や倫理観で人を裁くのは間違いだな、と思う人は、


無料メルマガ「プアーブロガー養成講座■ブログの真相」

今のうちに登録しておきましょう^^


友愛ジャコバン党 の方は、本当に押してますか~。

よろしく^^

にほんブログ村 本ブログ 電子書籍へ
にほんブログ村

ウェブログ ブログランキングへ

テーマ:日記
ジャンル:アダルト
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...