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こんにちは。

新羅というのは、朴・昔・金の三姓が王統を継いだことになっていますが、一つの国名で王が3系統になるというのも、どうも釈然としな いですよね。

ありていに言えば、半島南部を統一した統一新羅の金氏以外のこの3王朝は実は倭人国ではなかっただろうか、と思っています。

新羅神話の朴氏と倭人の高官・瓢公、おそらく丹波からの移住者・昔氏、魏志倭人伝に倭国の最北端であると記される狗邪韓国の流れの金官伽耶国の金氏。

これらは神武の兄の稲飯命が新羅の始祖であるとする新選氏姓録の記載と相まって、

半島南岸の都市国家群と倭国日本海沿岸の都市国家群・筑紫、出雲、丹波、越などとの「海洋系」同一文化圏の可能性を強く感じさせます。

現在の半島は、統一新羅の末裔、これはかなりの確率で「匈奴」の流れであろうと思います。 系図上、非常に珍妙なことに、統一新羅の王統は二人目の金氏、

金閼智(キムアルジ、65年? - 没年不詳)から始まりますが、この人物は王でもなんでもなくて、7世孫が第13代新羅王・味鄒尼師今となったことによって、逆算的に始祖として敬われ、系図ができたものです。

最近発見された、新羅の「文武王碑文」では、新羅の金氏、まあ慶州金氏というのは「トゥフ」という人物から始まると書かれてありました。

「漢書金イルチェ伝」によれば、金イルチェは匈奴の休屠王の太子。

トゥフは、匈奴族の太子、金イルチェだけのための漢の諸侯の官職名でした。いわゆる固有名詞です。

新羅は百済や高句麗と違う異質な文化を持った多くの謎を持つ国でしたがその特徴の一つが、遊牧民に特徴的な黄金崇拝の文化です。

陸路この風習が伝播したなら、新羅の北をふさぐ大国・高句麗が黄金文化の国でなければいけませんが、そういうことも無いようです。

前漢と後漢を分ける大激動の時代に、金イルチェの家は中国史の舞台から突然姿を消しています。

王奔がクーデターにより建てた新が滅亡した直後、漢書に興味深い記述があります。

イルチェのひ孫、金ダンは失脚した王奔のいとこだったのです。

王奔敗北とともに、トゥフ職が消滅した事は、彼の一族が政争に巻き込まれたものと推測できるでしょう。

新羅金氏の始祖、金アルジは紀元65年に誕生しました。
可耶金氏の始祖金スロは紀元42年に生まれました。


中国史に最後に現れる金氏、金イルチェの七代目の子孫が歴史から姿を消すのは、王奔が死んだ紀元23年です。



丹波から流れ着いた昔タレは、伽耶の金首露王に妖術合戦で負けて後に養子としてサロ国(新羅)第4代目王になったと神話は語りますが、この場合、イシュトヴァーン稲飯命の立場はどうなるのでしょうか?^^




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