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こんにちは。

いや、TPPの問題は難かしいですね。単に経済の問題だけに留まらず、国家安全保障上の問題や文化の問題にもなっていて、自分自身でも、日によって賛成・反対の間を揺れてしまいます。

こんなものを「決済」しなければならない政治家とは、真に大変な職業のようです。

大体日本においては、中世まで「農業」という職業しか無かったわけで、その他の流通・商業・サービス業等は、いわゆる職能民による限定職だったわけです。

江戸期においてすら、サービス等多くの職業は

関東

江戸においては、近世中期に穢多頭の浅草矢野弾左衛門 の支配下に入った。弾左衛門の支配下には各地域ごとに非人頭がおり、非人を管理下に置いた。

江戸の他においても弾左衛門の支配は、関八州(水戸藩・日光神領)、伊豆国、陸奥国の南端、甲斐国・駿河国の一部に及び、当該地域の非人は弾左衛門の配下となった。

関西

畿内においては、中世以来有力寺社との結びつきが強く、多くが各寺社の管理下に置かれた。しかし制度として整備された関東の弾左衛門による組織的な集中支配下に置かれた関係とは異なる。

そのためか京都や大阪の町奉行で解決できなかった例が多く残る。時代・地域によっても多様であり、未だ解明されていない部分が多い。

一例をあげれば、中世には、当道座という琵琶法師の同業組合が存在し、公家の久我家が本所(保護者)となっていました。

江戸期の当道座は、下から座頭・衆分・勾当・別当・検校など70余の官位があり、師弟制度によって運営され、座員は三弦・筝などの音曲や鍼灸・按摩・金融業に携わりました。また、定員10人の検校は、幕府が任命権を持ち、その主席が惣検校と呼ばれました。

という具合で、「家元制」による免許制は、寺社や貴族・天皇などを疑似家元とするものだったという具合です。

こんなの学校じゃやりませんよね。何でも「差別だ!」みたいなことだと、いつしか真実は誰にもわからないものになってしまいます。

一番番匠(ばんしょう)
 木工の建築工。
後に大工の代表的職人として、大工といえば番匠を指すようになった。

から

七十一番酢作(すづくり)
 酢を作る職人。
酢は古くから日本各地で醸造され、なかでも和泉産が上質とされた。

百四十二種の職業が資料には挙げられていますが、そんなことは、もはや趣味人のたわごとの世界でしょうか^^



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