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こんにちは。

よく「文章講座」 なるものがありますが、文章なんて学んでうまくなるものなんですかね。

落語家の稽古なんて今でも、師匠の芸を「盗む」上に自分の解釈を載っけて行くものだと思いますし、第一世代のエッセイスト、この植草甚一や淀川長治、久保田二郎の書くものなどは、その膨大な読書量と本物を見る事で養った審美眼に、肩の力の抜き方が絶妙な説得力という教養のなせる業だったのではないかとか、思いますけどね。

また、嫌われるかもしれませんが、よくわからない人に教わるよりも、本物を見て古典を読む事の方をお勧めしちゃいますね^^

J.J年譜:

1908年 東京日本橋小網町の木綿問屋の長男としてうまれる。1927年 早稲田大学理工科入学。1933年除籍、銀映座主任助手に。1935年 東宝入社。1948年 争議で東宝退社。1949年 映画評論を書きはじめる。1952年 ハヤカワポケットミステリの編集。1956年この頃からジャズを聞きはじめる。1958年 スイングジャーナル連載開始。

1967年 「ジャズの前衛と黒人たち」(晶文社刊)。1970年「ぼくは、散歩と雑学がすき」(晶文社刊)。1973年 「ワンダーランド」(現「宝島」の前身)創刊。1974年 初めてニューヨークに行く。1976年「植草甚一スクラップブック」全41巻刊行開始。1979年 2月心筋梗塞で倒れる。12月2日逝去。(月刊太陽植草甚一 特集より)

モダンジャズを愛し、チャーリー・ミンガス、セシル・テイラー、マイルス・デイヴィス、アルバート・アイラーを尊敬。彼の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、高平哲郎の仲介で、ジャズを愛好するタモリがその全てを買い取った。高平哲郎によると、その数は約4000枚という。

蔵書の数は約4万冊にのぼり、「古本屋を開くのに最低5000冊は必要だというけれど、3軒は開ける」と自ら豪語していた。終の棲家となった経堂のマンションでは、2部屋すべてを書庫として使用していた。



チャーリー・パーカーの場合は、そのアルトサックスの音色から水晶のように透明な大きな岩の表面を感じさせ、その多面体の色々な表面に、聴くほうの気持ちで、表面があっちこっちになったりしながら、明るい光線がたわむれ、やがて消え、また光りだすといったふうなのである。」

「ところがキャノンボール・アダレーのばあいは、音質と色彩が相当似ているとはいうものの、ずっとフォルムが単一化された違いがあり、よく磨かれた金属板の表面を感じさせるようになる。そして、この表面に当たる光線が眼に反射してまぶしい。」

植草甚一の文章は「建築的」なんでしょうね。

そういえば、ジャンフランコ・フェレ のドレープはローマの彫像のように建築的で、ジョルジオ・アルマーニ のドレープは生理的肉体的なセクシーさがありましたね^^

何もジャズや映画につてだから唸るわけじゃないんですよね。

情報の量が多すぎて、それが熟成するまでの時間が保持できない現代では、拘りのある、かっこいい頑固爺と意地悪婆さんが少なくなった気がします。



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