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こんにちは。

なでしこジャパンのワールドカップ優勝とか、与沢翼氏による記事削除事件とか、田渕茂隆氏による告訴事件とか、鳥居祐一氏によるオシカリ事件とかいろいろありましたが、やはり何と言っても、東北大震災と福島原発事故があった年という事になるでしょうね。

東北について再考して見る事が多かった年でした。

個人的には、今ではもう教科書からも取り外されてしまった一人の人物とその情報を再確認した年でもありました。

北白川宮能久親王は、現在では、ごくサラリと紹介される皇族の一人に過ぎません。

2代能久親王は伏見宮邦家親王の第9王子で、智成親王の兄宮に当たる。1848年(弘化4年)に誕生。1858年(安政5年)に仁孝天皇の猶子として11歳で親王宣下。上野の輪王寺に入寺得度し、公現入道親王と名乗る。

戊辰戦争の時、幕府側に附く。彰義隊に担がれて上野戦争に巻き込まれ、その後 奥羽列藩同盟に擁立され仙台に赴いた(東武皇帝として即位したとする説あり)。維新後、蟄居・伏見宮家預りとなる。

1869年(明治2年)に許されて伏見宮に復帰する。1870年(明治3年)にドイツに留学。1872年に北白川宮を相続し、1877年(明治10年)に帰国した。帰国後は陸軍に勤務。 陸軍中将にまで進む。

日清戦争では近衛師団長として出征。戦後、台湾守備の命令を受け、台湾征討軍の指揮にあたったが、1895年(明治28年)、現地で戦病死した。享年49。

実は、ある時期、東北にもう一人の天皇が即位し、独立を企てたという記録は、よほどの酔狂人以外、たいして知られていない事件です。

輪王寺宮が会津入りする以前の4月の段階で用語などが天皇扱いされていたことと、「東武皇帝の閣僚名簿」としていくつかの文書が知られているだけです。当時の日本をアメリカ公使は本国に対して、「今、日本には二人の帝(ミカド)がいる。現在、北方政権のほうが優勢である。」と伝えており、新聞にも同様の記事が掲載されています。

ニューヨークタイムズ1868、「日本の東北地方に新帝が立ち、2人のミカドが並立する状況になった。」

皆さんは、靖国神社には神座が2つある事を御存じでしょうか?

一座は、246万人の戦没者をお祭りしていますが、もう一座の祭神は、北白川宮能久親王と北白川宮永久王です。



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