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こんにちは。

最近のペタツールは良くできていて、コメント欄にコメントも投稿できる んですね。天皇誕生日だというのに、なかなか寂しいことでございます^^

陛下を見ていると、天皇職にも定年制を導入してあげたほうが良いと思いますね。この年齢で分刻みの公務を消化していくのは、少しやりすぎじゃないかと思えます。

まあ、ここでふと思い出すのが、三島由紀夫の最後の作品「豊饒の海」ですかね。私たちは知っているようで、実はあまり皇室について知らないのではないか。本当の情報というのは、山のような情報の洪水の中でも、手に入らないのではないか、と考えてしまいます。

「この世のものとも思えないほどの気品で、ただ絶世の一語につきる」

1965年、齢40歳の三島由紀夫は山本静山尼(門跡)の取材を終え独り言を呟きます。そして「決まった、全てが完結した」と。

三笠宮崇仁親王と双子としての出生、特に男女の双子は大凶との迷信から出生そのものを消すため生まれると同時に山本子爵のところへ養子に出され、山本家では学童の年齢になると学校へ行かせることもなく持って生まれた「縁」「絆」を全て切り捨て去るため円照寺へ授け入れます。

この作品を書き上げた後、自衛隊で割腹自殺。三島は山本静山尼、あるいは糸子内親王に、何を見たのでしょうか。

少なくとも、5年もたたずに商売替えをしてしまうIT企業家 には無いものでしょうね^^

昭和天皇に隠された妹君がいた!この衝撃的な「三笠宮さま双子説」の真相を確かめるべく、皇室関係者百人近くに取材、月刊誌・週刊誌・TVで公表してマスコミの話題になった著者が、その後も調査を続け、「妹君」のおられる奈良円照寺を訪ね、面会もした上で、その検証の全てをまとめた。ミステリーの謎解きのようなドキュメント

真偽のほどは闇の中ですが、「高松宮日記」昭和15年11月18日にはこうあります。

「15時30分円照寺着。お墓に参って、お寺でやすこ。山本静山と名を変えていた。25になって大人になった。」

河原氏は、こう言います。

この書き方を見ると、高松宮は静山尼の存在を以前から知っていたことになります。しかし生まれてすぐに里子に出され幼いうちに入山した一子爵の娘を高松宮が知る道理が無い。
しかも「いとこ」ではなく「やすこ」と呼んでいる。宮中では「やすこ」と呼ばれていたのでしょう。隠語でしょうね。

昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女 (文春文庫)



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