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こんにちは。

考えもできない事というのは、情報の不足や思い込みから来るもので、その多くが眉に唾する ようなものであったとしても、そこに含まれている真実もともに消し去られてしまうというのは、残念な事です。

子供の頃には、なぜ織田信長が堺の支配にこだわったのかとか、徳川時代に長崎出島を除いて鎖国してしまったのはどうしてだろうかと、よく判りませんでした。

それに翻訳された聖書もない時代に、やすやすと宗派を変えるキリシタン大名などの存在も不思議だとは思えなかったのです。

アカデミズムからは「とんでも」扱いされて消し去られた八切止夫氏の作品の中だけにこのことが理屈としてわかるものが書いてありました。

彼だけが、当時日本では殆ど産出しなかった「硝石」についてふれているのです。多くの史書では鉄砲という銃器の製造については言及しているものの、それに使う火薬がマカオからの輸入に依存していた事実がまったく書かれていませんでした。

種子島が鉄砲の産地であるとか、紀州の雑賀衆が鉄砲を量産していたという銃器の生産の話はよく出ますが、火薬の話、ましてその原料の話などは、八切氏以外、誰もいっていなかったのです。

八切氏によると当時の火薬の配合は、75%が輸入硝石に頼っていたのです。

現在では堺市のホームページ にはこう出ています。

16世紀後半に日本で生産された鉄砲の数は、当時のヨーロッパの全鉄砲数に匹敵するとも言われたほどです。堺環濠都市遺跡(さかいかんごうとしいせき)から出土したタイ製の壺には、硫黄が入っていました。

これは、タイから硝石を入れて運んだ容器に、中身を詰め替え、同じ鉄砲火薬の原料である国産の硫黄などを入れたためではないかと推定されています。堺の有名な茶人である今井宗久や千利休らも、鉄砲の製造取引や硝石の貿易で活躍した商人でした。

「茶の湯」の密室で語られる「硝石」独占の話。

ポルトガルのカトリックのイエズス会の宗教セールスマンが言葉もわからない大名を改宗させた理由。
島津が幕府に睨まれたのは、琉球貿易を通じてこのルートがあったことや、こういう試みによるものだったと いう確信。

徳川270年の安泰は、火薬の輸入独占が大きな要因ではないかという提起は、30年前には八切氏以外の本では読む事が出来ないものでした。

そういえば本能寺は実は「爆破」されたという話は、かなりの信憑性があるものと思えるのですが、たかだか明治時代、10万石の大名並の格式を誇り、関東の商業・サービス業・エンターテイメント・運送業を取り仕切りしきり、裁判権まで有していた非人の王・弾左衛門 の話すら、今ではタブーの末に「無かった話」になろうとしているようですから、無理も無いような気がします。

大東亜戦争が「石油戦争」であったように、内容よりも「見方を変えれば真実は違う」と言う事を教えてくれた作家でした。



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