2ntブログ
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こんにちは。

月に200万円もらえるなら別に紗栄子じゃなくても、ダルビッシュを応援しますが、こんなこと何でブログに書くのだろうかと思いますね。嫌な時代になったものです^^

ところでこの小野妹子池坊の始祖として有名ですが、実に謎だらけの人物ですね。

『隋書』によれば、俀王多利思北孤は大業3年(607年)に第2回遣隋使を派遣。煬帝はその国書に立腹したが、・・・例の「日出るところの伝伝」ですね・・・翌大業4年(608年)、裴 世清 をその答礼使として派遣。大海の都斯麻國(対馬)、東に一支國(一支国)、竹斯國(筑紫)、東に秦王國(辰王国?)他10余国をへて海岸についたという。竹斯國から東はすべて俀であるという。

『日本書紀』では次のとおりで、裴世清とその12人の一行は小野妹子とともに筑紫に着き、難波吉士 雄成が招いた。難波高麗館の上に館を新しく建てた。6月15日難波津に泊まった。船30艘で歓迎、新館に泊めた。8月3日に京に入った。

実はこのとき、煬帝からの「返書」を百済で無くしているんですね。なんかこう、小野妹子と裴 世清の間で「事を丸く収めよう」という外交官同志のやり取りが会ったように思えて仕方がありませんね。普通目的物の「国書」なんか紛失しないですもの。これによって彼は一時失脚しているようですしね。

もっとわからないのが、阿毎多利思北孤という「王」の使者である小野妹子が「蘇因高」と隋で記されていることですね。彼は自分の名を何と発音したのでしょうか。

小野因高か春日因高ではにならないです。

小野妹子の子供は毛人(えみし)というのですが、そういえば、蘇我馬子の子供も蝦夷(えみし)ですか・・・

まだまだ「倭国」の時代の物語です^^

ところで、どちらがかっこいいでしょうか?





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