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こんにちは。

何か世の中がインスタントな「スピ」ブームになる予感の中で、ユートピアを捜し求めた一人の神秘思想家・画家の足跡をたどる事もまた、楽しい時間つぶしのひとつです。
先回の【ニコライ・レーリッヒとシャンバラ伝説1】 に続き、不定期に書いていきますので、胸に手を当てて自らの「旅」の道標としていただければ幸いです。山の貴方の空遠く。



1874年ロシアに生まれたレーリッヒ は、ファンタスティックで淡い筆致の画家としてスタートします。ロシア革命前夜にはストラビンスキー「春の祭典」の衣装デザインを担当するなど幅広い分野で名声を得ます。

革命前のロシアはある種の霊的サークルの中心であり、沢山のオカルティストたちが跋扈していました。ブラヴァッキー、グルジェフ、ソロヴィヨフらの神秘思想家、ベールイ、グリーンらの幻想文学作家たち、そしてラスプーチン、ドルジェフらの山師 たち。

東洋と西洋の秘境的叡智の交流点だったロシアは、唯物論という新しい霊的衝動を前にして大きく揺れ動いていたのです。

レーリッヒも青年期にこの波をまともにかぶってしまった一人でした。

ロシア革命後、このサークルは四散しレーリッヒも国を追われます。しかし、多くの者がヨーロッパや新大陸へと亡命していったのと違い、彼は全く違う計略を計ります。このことがレーリッヒの後半生を大きく変えることになったのです。

レーリッヒはアメリカでしばらく亡命生活を送った後、1923年、彼の家族を中心として探検隊を組み、かねてから憧れの地だったヒマラヤにむかいます。彼はこの旅を通して人跡未踏の大自然、遊休の歴史を経た建造物、宗教美術などを調査し、その中に潜む美を絵画や詩に表現しようとしていたのです。

翌24年、一行はヒマラヤの入り口シッキムに到着。そこは色鮮やかな生物たちが乱舞する緑の森と、見渡す限り銀色の雪の王国が、激しくコントラストをなす衝撃的な美の世界でした。

そのシッキムの僧院での高僧との対話の中から、彼はヒマラヤの持つ霊的な美とチベット仏教の叡智の源泉となるものの存在を知ります。そう、シャンバラ です。

レーリッヒは旅の目的をシャンバラ探求に変更し、大幅に構想を練り直します。中央アジアの山岳地帯を縦断する彼の長征が始まったのです。



日々の発想のヒント!先生業のネタ本。



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