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こんにちは。

やはり実践第一ですね。身をもって自ら人柱として、コメントも無く、アクセスも限定され、眉をしかめられる内容を提示することで有益な情報を提示するのはプアーブログの使命でもあります。ほほ。

岡田英弘氏も指摘してますが、結局、国家というのは中国にしても日本にしても「商業」から始まっていて、市場の監督者が皇帝になり、あるいは皇帝の代理として「金印」を受け取って各国市場を管理したという説は、かなりの説得力があると思います。

神武や卑弥呼の前の話になるであろう日本列島開拓史にとって、非常に興味ある一族に丹生一族というのがあります。

これはおそらく「血縁集団」というよりは、ある特殊技能を共有する技術集団、まあ一種のフリーメーソンのようなものであると思うのですが、

辰砂・丹砂・眞朱(ましゅ)・眞赭(まほそ)・銀砂などと呼ばれた硫化水銀を含有する鉱物が製する水銀にまつわる説話は数多いのですが、それらを丹(に)とも云い、転じて丹の付く地名はこの鉱物を採取する場所・鉱山を指すようになったわけです。丹を生産する意という丹生や丹土、丹波、丹後などですが、丹生と言う地名だけでも全国に数百ヵ所もあるわけです。

その鉱床跡の多くは、地震との関係を取り沙汰される九州から関東にかけての断層の中央構造線上に沿って点在していて、神武東征の目的のひとつも、この丹の獲得だったという説もあるくらいです。

古代から辰砂・丹砂採掘に携わっていた氏族が丹生氏で、その一族が奉じ、丹砂の神であり氏神とも思われるのが丹生都比売神です。丹生氏の出自は九州・邪馬台国の一部の伊都国とされるが、真偽のほどは不明です。魏志倭人伝には邪馬台国が丹を産すると記されています。

倭姫命が天照大神の鎮め奉る地を求め巡幸の途に着くはるか以前、丹生一族は水銀の鉱脈を求め、九州から出発した。四国を経て紀伊や吉野などに居を置き、さらに各地を探索して辰砂の採掘に従事しています。

水銀鉱床は浅く小規模な産出だったため、枯渇したり地下水の出水で掘削の限度に達すると、また他の場所へ移動して新たな採掘を行っていったようで、一族が奉じる祭神や地名の分布から見て、その行動範囲は、九州から近畿、北陸、関東、東北の一部にまで及んでいます。



伽耶が古代の鉄の一大流通センターであったことは明らかですが、「朝鮮半島の鉄鉱石は赤く酸化した赤鉄鉱という鉄鉱石をもちいていましたが、日本に赤鉄鉱は少ないわけです。そこで、日本列島に潤沢に存在する「砂鉄」を元に5世紀後半から中国地方を中心に始まったのが製鉄で、砂鉄はこれまで輸入された鉄とは違った、日本の独自の鉄をつくりだします。

これが日本の経済文化圏を朝鮮半島からだんだん自立させていった」
という説もあって、鉄の王国・伽耶から日本列島へという産鉄民の動きにも注目でしょう。

岡田英弘氏によれば、最初期の「製鉄移民」は、神官の統率下、食糧生産部門やら土器製造部門やら一切合切を引き連れて移動するんだそうで。そして立ち寄り先に「植民地=土着可能な地域で恒常的拠点を維持する後方部隊」を残しながら進んだと考えると丹生氏の分布がすっきり説明出来る様です。

そして、彼らがそうやって掌握した水銀鉱脈網を「アマルガム鍍金」技術を有する伽耶人が後からやってきてそっくり手中に収めたという図式の可能性は否定できない気がします。

製鉄というのは日本刀の製作にも見えるように一種の「神事」で、大量の樹木と水を使用するため、その山をまるまる禿山にしては、移住を繰り返す「技能集団」によって行われてきたわけです。

丹生都比賣神社(紀伊国一の宮)





と、こんな女子力にもブロック解除にも役に立たないことばかりやっていたら、愛想をつかされて、立派な「不人気ブログ」が出来上がるわけです。ぜひ参考にしてみてください^^

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