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こんにちは。

とりあえずは習作で一通り書き下してみます。完成した後、手を加えてまとめようと思います。

【秘境列島11(習作)・第二章沖津宮】

ヒント別冊【秘境列島12(習作)・第二章沖津宮】

の続きです^^



一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居をくぐると、沖津宮の社殿が現れる。上部には巨岩が覆いかぶさり、左側には太い御神木の杉がそびえ立つ。

沖津宮の社殿の裏側には古代の祭祀跡が残る巨岩がある。島内の祭祀跡は23ヵ所にのぼるが、いずれも社殿の周囲に集中している。

「この島は遺跡だらけなんだなぁ」

警部補が言う。

「ええ。沖ノ島の遺跡は、祭祀の形態から、岩上(がんじょう)祭祀(4世紀後半~5世紀)、岩陰(いわかげ)祭祀(5世紀後半~7世紀)、半岩陰・半露天祭祀(7世紀後半~8世紀前半)、露天祭祀(8世紀~9世紀末)の4段階に分けられます。

それぞれの遺跡からの出土品は、時代ごとに大きな特徴を持っています」


高田がいつも大祭で説明しているといわんばかりに、滑らかに説明した。

「初期の岩上祭祀の遺跡からは、銅鏡や鉄製の刀剣などが数多く出土しています。ちょうどヤマト王権が加耶や百済との国交を開始し、鉄の素材を朝鮮半島から輸入していたころにあたります。

また、岩陰祭祀の遺跡では、金製指輪など朝鮮半島からの舶載品が多く見られ、倭国と朝鮮半島諸国の密接な交渉がうかがえます」


高田と警部補にうながされて、佐藤が社殿の裏に回りこみながら高田に質問した。

「あまり知られていないことですが、実質上の日本国の初代天皇ともいえる天武天皇(大海人皇子)の側室の尼子娘(あまこのいらつめ)は、7世紀前半ごろのこの地方の王・胸形君徳善 の子ですよね。

天武は東海地方に軍事的な足場が会ったようにいわれていますが、実はこの胸形君との婚姻は、かれの権力基盤にとってかなり重要なものだったのではないですか?」

意外な顔をして高田が答える。

「実際に筑紫で当時の世界大戦のような、大唐帝国と新羅の連合軍と戦う百村江の戦闘の総指揮を取っていたのは、兄の天智(中大兄皇子)ということになっていて、この時期、天武は何を担当していたのか、よくわかっていませんが・・・」

佐藤は高田に問う。 「胸形君徳善の子である尼子娘は、天武天皇と結婚し、高市皇子(たかちのみこ)の母となります。 尼子娘の名は、アマコ=海人の子の意味で、天武の名とされる大海人とかぶりますね」。

何か思うことがあったのか、佐藤はいつになく饒舌に高田に話しかけた。

「日本書紀というのは持統天皇で終わっていて、この書物自体が、彼女とその孫である軽皇子(後の文武天皇)の正統性を担保するためのものであるともいえますね。」

高田がうなずく。

「ええ。彼女は息子の草壁皇子を天皇にしたくてたまらなかった。実の姉の子でもある大津皇子を殺してまで望んだ草壁皇子の皇位継承も、結局は草壁皇子が病気で亡くなり実現しませんでした」

岩陰遺跡の前には一面テープが張られてあった。そんなことをしなくてもこの孤島に足を踏み入れる人物がいるとは思えないのだが、佐藤の奇妙な表情を察してか、警部補が口を挟んだ。

「ここは事件現場なんですよ。佐藤さん。われわれは一切手を触れてはいけません。」



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