2ntブログ
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こんにちは。

たとえば志ん生は本物だが三平は偽者か。

ドビッシーは認めるがサティは三流か。

ゴッホは天才だがヨゼフ・ボイスは詐欺師か。

モンドリアンからはリズムを感じるがラウシェンバーグは落書きか。

こういうものの受け取り方は、一つは感性。
一つは、成功の度合いという社会的な階層評価でしかない。

人間の情動に訴えかけるものは、「歌のうまさ」とか「演技の迫力」とか言う技術の価値尺度(これも随分と恣意的なものではあるが)、以外にも沢山存在するわけで、

少年が大人になる本の一瞬の輝き、であるとか、
少女が一生のうちにほんのひと時、輝いて見える刹那の一瞬であるとか、

そういうものに美を感じることよりも、世の中の権威の評価を大事にするということは、自分の無さを教育によって補うものでしかないことが一般的であろうと思われる。

「本物か偽者か」そういう価値基準で芸事を見ることはナンセンスである。アメーバのコンサルタント 評価じゃあるまいし^^

サーカスの楽しみはオペラの楽しみに劣るのか?

それは、漫画が文芸よりも劣る文化であり、ポップミュージックがクラッシックよりも下劣な楽しみであるという価値評価と変わらない。

ロゼッタストーンはどこの美術館でも複製を見ることが出来るし、精巧なツタンカーメンの棺を見ることも出来るが、バザールで売っている龍の涙や、仙人になれる1000年前の秘薬は、「そこでしか」手に入らない。

偽者に価値がない。

あるいは「本物と偽者」にとらわれることは、快楽主義の敵である。



日々の発想のヒント!先生業のネタ本。



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