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嫌いな物は風船です。

膨らませたものが特に大嫌いで、見せられるだけで涙目になってしまうほど。「いつ割れるか分からないからイヤなんです」
@大島優子



AKBは観賞用の箱庭である。そのプロジェクトは歌やダンスといった技術を見せることによって人々を魅了するといった旧来型のアイドルシステムではない構造的な仕組みを持っている。

メンバーは固定されておらず、人々はその運動体の中で自己を投影できる対象を選択し、その少女の経験と進化の物語を楽しみ、金を払う。

これはおにゃんこ以来はぐくんできたアイドルの仕組みに対する秋元氏の一つの到達点だともいえよう。

ひと夏の経験で少女が新しい困難に立ち向かい、一つステップアップするという物語性は、宮崎駿のアニメーションにも通底する共感のシステムである。ここには少年であってはならないという不文律が存在している。

AKBのよさは、度を越えた見世物であることだ。そこには古代演劇がそうであったに違いないような誇張がある。またAKBはライブのエンターテイメントだ。というのは、サーカスや闘牛場の本質をなすものは空(社交的催し物特有のロマンチックな価値)ではなく、光りの輪の強烈で垂直な性格なのだ。

日本武道館の中でさえ、AKBは太陽の下での偉大なエンターテイメント、ギリシャ劇、闘牛の種類に属する。どちらの場合にも、影のない光りは屈折のない感動を生みだす。

誇張のこの機能は正に古代劇のそれと同じであり、古代劇の原動力、言語、付属物は一つの必然性の度外れに視覚的な説明のために力を合わせていた。敗れたメンバーの身振りは、敗北をかくすどころか強調し延音記号のように維持して外界に向けて意味づけし、エンターテイメントの悲劇的調子を意味する役目を果たした古代のマスクに相当する。

『AKB48 選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では、古代劇場においての如く、苦痛を恥とせず、泣くことができ、涙に趣味を持っている。

芸能においての「涙」「感情の爆発」は、それ自体、「真実であり」かつ「エンターテイメント商品」である。

だからまったくの人間喜劇が問題となるのだ。そこでは情熱の最も社会的な諸ニュアンス(うぬぼれ、正当な権利、洗練された残酷さ、≪仕返し≫の感覚)がそれらを取り入れ、表現し、ホールの隅々まで運ぶことのできる最も明白な表象にいつでもうまく出会うのだ。この段階においては情熱が本物か否かはどうでもいいのだということは理解される。

観衆が求めるのは、情熱のイメージであって、情熱それ自体ではない。AKBにおいては、劇場においてと同様、真実という問題はないのだ。どちらの場合でも、期待されているのは、通常は秘密である精神的状況のわかり易い形象化である。この、外的表象のために内面をからにすること、形式によって内容を汲み尽くすことは、正に勝ち誇る古典芸術の原理である。

AKBは直接的な、そして劇場におけるよりはるかに効果的なパントマイムだ。なぜならメンバーの身振りはいかなる物語、いかなる背景も必要とせず、一言にしていえば、本当らしく見えるためにいかなる転移も必要としないからだ。

AKBの各瞬間は従って、一つの原因とその予想される結果を即座に解明する数学のようである。確かにAKBの愛好者達においては、精神的メカニズムがこれほど完全に働くのを見ることへの一種の知的快楽 がある。



しかしてこの中心無き運動体においても、商業的な意味合いは、自然と中心を生み出すことになる。

現在のこの運動体のセンターに位置しているのは、前田敦子と大島優子 であることに異論は無いであろう。

前田敦子は、自由に泣き、感情を爆発させ、身体と精神の限界まで努力し、またそれを見せることで存在をアピールすることが出来るこのグループの正統なシンボルである。

ひるがえって、大島優子には、核が無い。前田敦子の存在が、彼女を星飛雄馬に対する矢吹ジョー、ビートルズに対するローリングストーンズの位置に置く。

去年の第3回選抜総選挙で1位返り咲きを果たした際には、挨拶で

「ひとつだけお願いがあります。私のことを嫌いな方もいると思います。私のことは嫌いでも、AKBを嫌いにはならないでください」と涙ながらに発言した前田敦子に対して、総選挙2位だった大島は

「なぜそんなに辛く生きるんだろう」「自分は楽観的な人間だからもっと楽しく生きればいいのに、と思った」とテリー伊藤との対談で語っている。

必要があって自分の位置を作っている。彼女には自分が無い。前田敦子という努力と情熱の人に対比して自分を置くという作業である。

なぜであろうか。

「期待値のハードルが高い」と秋元氏に言われる彼女は、AKBの中では例外的にプロ中のプロである。

セントラル子供劇団に所属し、子役として芸能活動を始め、すでに2000年頃からジュニアアイドルとして活動し、2005年にはTHE ALFEEの高見沢俊彦がサウンド・プロデュースした総勢25人のジュニアアイドルユニット、「Doll's Vox」に所属していた。それゆえに子役時代も含めると芸歴は10年以上あり、AKB48メンバーの中では最長である。

「目で負かし、心で伝える、変幻自在のエンターテイナー、大島優子です」

2年前の『AKB48 17thシングル選抜総選挙「母さんに誓って、ガチです」』では1位で、メディア選抜入りを果たした。速報、中間発表の時点では2位であったが、最後に逆転した。マニフェストを決めるに当たり、「1位なら丸坊主」も考えたが、所属事務所からNGが出たため幻となったという逸話は有名である。

また水着等エロ仕事に対しても、全く抵抗感は無いようである。

AKB48デビュー当時は栃木県から通っており、夕方にレッスンのために東京に行き、夜間に帰宅するという努力の生活だった。

彼女の出自は、クォーターであり、(父親が日本人、母親が日本人とアメリカ人のハーフ)、小学校卒業後、神奈川県から栃木県に転居するが、その直後に両親が離婚し父子家庭で育つ。母親とは高校生の時に再会している。やろうと思えば前田敦子以上に「感動のストーリー」が構築され、お涙頂戴路線もとりうるが、彼女は、それを是としていないようである。

そのプロ意識の高さは、メンバーからは圧倒的に支持されているようで、手を抜かない優子に板野友美が

「この人はまじスーパーマン。一回も手抜いたの見たことない」

と語っているのは有名な話である。

しかしこの彼女の中にあるのは、ジェットコースターのような運動体の中での二つの中心でありつつ、

嫌いな物は風船です。

膨らませたものが特に大嫌いで、見せられるだけで涙目になってしまうほど。「いつ割れるか分からないからイヤなんです」


という「自己の最大限の拡張」に対する不安であるというアンビバレンツな精神構造を持っている。

前田敦子は、いつわれるかわからない風船であるが、自分はその役目を果たさない中心でいたい。と。


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